冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

自転車を修理した話

 

正確には自転車の修理を待っている話。

 

昔のblogを漁ってみると、2009年の1月上旬に近所のホームセンターで今の自転車を買っていた。

特売品で9800円。

一切の修飾を排し「乗れればいい」を体現した無骨な自転車だ。

先代の自転車が高校入学時に買ってもらった12800円のもので、LEDオートライトやあれやこれやとにかく色んなセールスポイントがあるもので、そして呪われていた。

2年の間にパンクだけで10回以上、タイヤまるごと交換が3回ほど、それ以外の故障が5回ほど。

修理費だけで3万円以上は掛かったはずだ。

それに引き換え9800円の当代は約5年半の間、一度も修理に出していない。

今朝、後輪のパンクを発見したとき、とうとう来るべき時が来たか、と思った。

 

1万円で買った自転車が5年半もったんだから儲け物だ、潔く買い換えよう、と最初は思っていた。

父の車で自転車屋に行き、それなりに安くてそれなりに便利そうなものを探したら、大体2万円ほどで求める水準のものがあった。

これにしようかな、と決めかけた時に、なんか嫌だな、と思った。

 

高校を卒業して予備校生とは名ばかりのロクデナシになり、そのまま一年が過ぎて宅浪という名のニートになったその境目、一浪と二浪、ロクデナシとヒトデナシの境目の春に、自転車で京都に行った。

不合格発表を過ぎて数日、後期試験の出願もしていなかった僕は暇を持て余し、たばこを買いに行くついでに京都に行った。

財布の中にはタバコ代のあまりの10円、携帯の充電器なし、着替えなし、着の身着のまま雨の中自転車を走らせた。

財布の中身がそのまま全財産だった当時の僕は、本当に10円玉一枚で往復300kmを走破した。

本当に今考えても何がしたかったのか全くわからないし、今振り返ることができる幸運に感謝するばかりだ。

友人の好意がなければ死んでいてもおかしくない。

で、その時に乗っていた自転車が、今の自転車。

 

合理的に考えれば買い換えるべきなんだろうけど、なんか嫌だな、と思ったので悪あがきをすることにした。

一旦帰宅して自転車を押して再訪。

「すみません、修理をお願いしたいんですが」

「はい、どこの修理でしょうか」

「メインは後輪のパンクなんですけど、多分ほとんど全部です」

「はい?」

 

パンクをきっかけに改めて自転車を見直すと、もうほとんど動く粗大ごみだった。

ライトは全くつかないし、ブレーキは全然効かないしうるさいし、なんかペダルはカタカタ言うし、ベルは鳴らないし、カギは閉まりにくいし、後輪はもうツルツルだし、全体的に薄汚い。

ライトは流石に警察が怖いので外付けの安物を取り付けていたが、ブレーキは己の靴の底を犠牲にすることで対処していた。

おかげでスニーカーの底もツルツルになった。

その他の不具合は全部「気のせい」だと思ってやり過ごしていた。

「自転車ってこんなもんだよね、乗れてるし、乗れればいいし」と自己暗示をかけて日々を生き抜いてきた。

だがもう現実を見つめなければいけない時が来た。

これは動く粗大ごみだ。

おいくらくらいになるでしょうか。

「そうですね・・・・・・大体ざっと見積もって1万4000円でしょうか」

絶対に買い替えた方が賢い。

 

けれども一度芽生えた愛着というのは厄介なもので、店員さんが見守る中ああでもないこうでもないと迷ってしまう。

一度こいつと京都まで行ったからか妙な愛着があるんですよね、と優柔不断に対する言い訳のつもりで店員さんに漏らしたら、店員さんが途端に嬉しそうになった。

「僕もホームセンターで8000円で買った自転車にまだ乗ってるんですよ」

「10年くらいかな・・・・・・2台あるうちの1台なんですけどね」

「なんていうかね、乗りやすいんですよね」

 

先述の通り先代の自転車が呪われていたおかげで、高校生の頃は自転車屋にしょっちゅう顔を出していた。

いつどこで壊れるかは自転車の気分次第なので割と色んな自転車屋に立ち寄った。

もともと手先が不器用な僕はいわゆる手仕事というものに憧れがあったのだが、その憧れが強まったのは間違いなくこの望んでもない自転車屋通いのせいだ。

今まで僕が話をした自転車屋は、程度の差はあれ「自転車が好きなんですよ」と言葉以外の全てで伝えてきた。

自分の技術を自分の好きなものに注ぎ込む人たちをとても羨ましく思ったのを覚えている。

そしてこの店員も完全にそのタイプだ。

なんなら今までで一番だ。

愛着というワードを出した瞬間に明らかにテンションが変わった。

 

自転車屋の言うことではないですが、と前置きをした上で、

「オススメはしないですが、最悪ココとココに絞れば命と法律はギリギリで守れてこれくらいのお値段になります、残りの部分はダメになったその時にその度に直すという方法もあります」

「ぶっちゃけこの自転車もう寿命ですかね?」

「乗り物なのでパーツが劣化していくのは避けられませんが、修理や調整を重ねればまだまだ何年でも乗れますよ」

「修理が大体1万4000円ですよね、で、2万円であの自転車買えるんですよね・・・・・・」

「そうですね・・・・・・買い換えるという手もありますが・・・・・・愛着があるとおっしゃってましたし、実際乗り心地とかの相性って自転車にもありますからね」

 

この店員、自転車を売る気がない。

なんというか、俺よりも先に店員が自転車を修理する気になっている。

商売としてどうなんだ。

おもしろいので修理を頼もうと思った。

「悪いところ全部お願いします」

 

名前と電話番号を残して店を出た。

あまりの熱意に僕は代車を借りるのをすっかり忘れていたし、店員もまたあまりのやる気に代車のことなんて忘れていたのだろう。

6月上旬とは思えない暑さの中を歩いて帰った。

 

正直な話、賢いお金の使い方ではないと思う。

どう考えても買い換えるべきだ。

けど、なんとなく嫌だ、という自分の感情と、往復300kmのちょっとした想い出と、あの店員さんの妙なやる気に1万4000円を払う、と思うと、後悔するどころか少し楽しい気分になる。

お金は欲求や損得よりも感情に素直に使うべきなのかもしれない。

 

「大体の見積が出ました、先ほどとそんなに変わりません」

「愛着があるとおっしゃっていたので、これから先もしっかり乗れるように修理させていただきます」

「19時以降にはお渡しできるようにしますので」

家に着くと同時くらいに電話がかかってきた。

なんかもう僕よりも店員さんのほうがあの自転車に愛着を持っているんじゃないかと思えてくる。

せっかくだから引き渡しの時にはメンテナンスの方法や長持ちさせるコツを聞こうと思う。

きっとたくさん教えてくれるだろう。

本当に動く粗大ごみになるまで乗り倒してやる。