冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

チュパカブラとバーベキューをした話

 

秋の海で煙草を吸った時のお話。

 

風邪を引いた。37度前後の微熱が一日続いている。
平熱が低いせいか微熱程度でも辛い。
毎度毎度、見事に季節の変わり目の度に風邪を引いている。
最低でも年に四回。
毎年四回ずつも風邪を引いていれば少しは学習してもよさそうなものだが、
どうもうまくいかない。

昨日は世話になった上司の送別会があった。
上司といっても中学の同級生で、中学の同級生といっても学生時代にまともに言葉を交わしたことはないはずだ。
そんな薄い繋がりにも関わらず、家が近いから、というだけの理由で、
いい歳をして免許も持っていない僕を毎朝毎晩一緒に車に乗せてくれた。
初めは流石に遠慮して断ろうとしたのだが、ついでだから気にするな、
と本当になんでもないように言ってくれることに甘えて、気付けば一年以上も経っていた。
でもむしろ本当に世話になったのは通勤のことではなくて、仕事のことだった。
別に同級生だからと特別扱いされたわけではない。
四年もニートをしていた上にバイトすらろくにしたことのなかった僕に、
仕事のやり方や職場での人付き合いの方法や、
とりあえず労働をして生きている分には必要な最低限をすべて教えてくれたのも彼だった。
今はともかく入って半年ほどは職場自体の環境も相当良好で、仕事も信じられないくらい楽だったが、
それでももし彼がいなければどうなっていたかはわからないと思う。
仕事を紹介してくれた別の友人にももちろん感謝はしているが、
逃げ出さずに済んだのは彼の力に依るところがとても大きい。
なんとか社会復帰を果たして、これからもなんとか生きていけるだろうなと今思えるのは、彼のおかげだ。
そんな彼が転職してしまう。
寂しさはあれど、自分についても彼についても不安はない。
そう思えるようになったのもまた、彼のおかげだろう。

運と縁について考える。風邪でうまく回らない頭で考える。
自分の人生を振り返ると、どうも運と縁でなんとか持ちこたえているようにしか思えない。
受け身で生きている気は全くないけれど、数々の幸運や不幸中の幸いが重なって、
なんとか今、笑って生きていると、そう思う。
なにもかも、どうもうまくいかない。
けれど、どうせなにもかもうまくいく。

どうしても好きになれない人や、死んでしまえと思う人はもちろんいるし、
その逆に自分のことを死んでしまえと思う人もいるのだろう。
特別悪意を持って接したつもりもない人に嫌われるということはいくらでもある。

昔、チュパカブラを本気で探していた時に、どうしても見つからないことに業を煮やして海にいったことがある。
秋の海は寒くて、砂浜は汚くて、人は誰もいないのに、チュパカブラが三匹いた。
あまりにも当たり前のようにそこにいるものだから始めはチュパカブラと気が付かなかったほどだ。
季節外れのバーベキューを楽しんでいるそいつらは、楽しそうに談笑をしているようだった。
多分人間には発音不可能な音で会話をしている様を、興奮半分、恐怖半分で遠巻きに見ていた。
落ち着こう、とりあえず落ち着こう。
そう思った僕は、腰を落ち着けられるくらいにはゴミの少ない場所を探し、煙草に火をつけた。
その瞬間にチュパカブラがこちらを見た。
しかし、本当に一瞬で彼らは談笑に戻ったので、僕も興味の無い振りをするために海をぼんやり見つめながら煙を吐いていた。
大丈夫だ、奴らはバーベキューを楽しんでいる、数分目を離したところで見失うことはないだろう。
多勢に無勢、捕まえることは無理でも、記録に収めることはできるだろう。
そうすれば僕は一躍時の人、どうしようもないニートから一気にスターだ。
これでようやくこの灰色の状況からも脱出できる。
そう思うと嬉しくて叫びだしそうだったが、そんなことをしてあいつらに逃げられても困るので、黙々と煙を吸っては吐いた。

なぜこんなところにチュパカブラがいるのか。
なぜバーベキューを楽しんでいるのか。
奴らは穴を開けて生き血を吸うのではなかったか。
そんなことを考えるべきだったのだろうけど、どうも興奮で冷静さを欠いていたらしい僕は、演技で見ていたはずの海にいつの間にか夢中になってしまっていた。
心に余裕ができたからだろうか。
まともに海を見るのはいつ振りだろう。そんなことを考えていた。
とても広くて、特に何もなくて、寄せては返す波は暇を持て余して手遊びをしている子供のようだ。
その姿は自分と重なるような気もしたが、気の遠くなるほど大きい海とちっぽけな自分では、そもそものスケールからして違い過ぎる。
もう天狗になりかけている自分に気付いた僕は自嘲気味に笑った。

煙を楽しみ、海を楽しみ、恐怖を紛らわせたところで煙草も短くなってきた。
携帯灰皿を出そうと身体を捻った弾みで煙草が砂浜に落ちる。
その時だった。
背後から奇怪な音楽が三重奏で襲ってきた。
驚いて振り返るとチュパカブラが三匹、今にも掴み掛らんほどの勢いでこちらを向いて何かを捲し立てている。
逃げ出そうにも恐怖で腰が抜けて立てない。
何かに怒っているのであろうことは仕草と声音から推測できたので、とりあえず手を合わせて謝罪を繰り返した。
目をつむるとその瞬間に生き血を吸われそうな気がして、必死に見開いた目でチュパカブラ達を見つめて謝った。
謝罪が通じたのか、奇怪な音楽は止まった。だが立ち去る気配はない。
いったい何がいけなかったのかと考えていると、
チュパカブラは大きな目でこちらを見ながら小さな手で砂浜を指した。
見ると、先ほど僕が落とした煙草がある。
それで全てを察した僕は、立ち上がってポケットから携帯灰皿を取り出し、吸い殻をその中に収めた。
チュパカブラ達はそれを見届けると静かにひとつ頷いて、ゆっくり歩いて戻っていった。
よく見ると、彼らがバーベキューを楽しんでいるその傍らには、
地域指定のごみ袋がいくつも置いてある。
なるほど、この一帯だけゴミが少ないのは彼らのおかげだったのか。

ようやく念願のチュパカブラに出会ったというのに、僕はどうしても彼らを記録に残す気になれなかった。
ここで写真を撮って映像に収めて世界に公開したら時の人になれるのは間違いない。
けど、それをすることが本当に正しいことなのだろうかと考えると、そうではない気がした。
誰が訪れるでもない季節外れの海を綺麗にして、その疲れを互いに労うためにバーベキューをする彼らを見世物のように扱っていいとは、
どうしても思えなかった。
未確認生命体を発見することさえできれば今のこのどうしようもない状況から抜け出せるはずだ、と思っていたのに。
本当に、なにもかも、どうもうまくいかない。
けど、それでいいのだろうと思う。
チュパカブラと一緒にバーベキューを楽しんだ人間なんて、おそらく数えるほどしか居ないはずだ。
なにより、言葉も種族も違う相手とあんなに楽しく笑い合えたのだから、それだけで充分だ。

運と縁について考える。
何が幸運で何が不運なのか。
何が良縁で何が悪縁なのか。
一目見てわかることは少ないのだろう。
どうしても好きになれない人や、死んでしまえと思う人や、
自分のことを死ぬほど嫌いな人がいて、
それで初めてわかることもあるのだから。

季節の変わり目はいつも風邪の気怠さと共にあって、
秋の寂しさにそれが合わさるとどうしても切なくなってしまう。
金木犀の香りに包まれながら、大恩のある彼の新たな門出を祈る。
どうせなにもかもうまくいく。