冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

そうだったらいいな

 

ヘブライ語のことを思い出した。
あの言葉は確か、復活してからまだ百年そこそこだったはずだ。

復活という言葉を用いたが、完全に死語になっていたというわけでもない。
ヘブライ語を用いての執筆は歴史上途切れることなく続いていたそうだ。
いわゆる文語・文章語、という解釈で合っているのだろうか。
軽く調べてみると、いまのラテン語や標準アラビア語、これはフスハーとも言うらしい、などと同じ状態だったとあった。

フスハーは初耳だったが、ラテン語の方は名前くらいは知っている。
それを手がかりにかつてヘブライ語が置かれていた状況を想像してみることは可能だろうか。
可能だとして、どこまで辿り着けるだろうか。
そして、付け加えるならば、どこに辿り着いたとしてもそこは学問的には全く正しくない場所だ。
それでも想像を広げていくことができるだろうか。
ラテン語。何故ラテン語を知っているのか。

ラテン語が比較的有名な理由は様々なファンタジーやゲームで目にすることが多いからだろう。
少なくとも自分はそうだ。
そしてそもそもその分野で多用される理由のひとつが、「日常語としての役割を失っている」というところにあるのは間違いないはずだ。
古代の響きを残す歴史の長さに加えて普段耳にすることはないという性質は非日常を演出するのに最適だろう。

非日常。

母語を指して日常語と呼ぶことがある。
となれば、単純に、非日常語として生き延びたのが文語なのだろうか。
日常の世界で母語としては滅びてしまったけれど、非日常の世界で生きている?

もちろん、現代の日本語でも、会話ではふつう使わないけれど文章では多用される言葉は山ほどある。
書き言葉。書き言葉と話し言葉。その区別。
たとえば厳密な意味付けを必要とするときに。たとえば格式や権威を高めるために。
そういう時に書き言葉は使われる。
当然のことだが、「日常のままの言葉では不都合が生じる場合」に書き言葉は用いられる。

鶏卵論争。どちらが先だったのだろう。
「日常のままの言葉では不都合が生じる場合」が生まれたことによって書き言葉が生まれたのか。
書き言葉が生まれたから「日常のままの言葉では不都合が生じる場合」が生まれたのか。

人類の偉大な発明のひとつが文字だ。
言葉は文字になり記憶を記録に変えることができる。
発声という前提を犠牲にすることで書き言葉は記録の正確さを手に入れたのだろうか。
書き言葉は正確性を増していき、伴って記録は積み重なる。
積み上がった記録は情報となりある種の力へと変わる。
強くなった力には権威や格式といったものが必要となる。
そういう風にして書き言葉は話し言葉から離れていったのだろうか。
そういう風にしてある種の言葉は非日常性を帯びていったのだろうか。

そうだとすると、先程の答えは前者になるのだろうか。
書き言葉が先のような段階を踏んで発達していったと仮定することは不自然ではない、と思う。

音を失いかけながらも紙とインクの中で生き延びている、という言葉は多くの言語にあるだろう。
けれどもヘブライ語は、言語そのものが紙とインクの中に封じ込められてしまった。
封じ込められたまま、生き延びた。

消滅してしまった言語は、誤解を恐れずに言えば、簡単だ。
とてもわかりやすい場所に居る。
仏教で言う彼岸。いわゆるあの世。
現実に不在する代わりに記憶に存在する。
形見を頼りに想い出を手繰ることはできるけれど、もう二度と確かな手触りが得られないこともわかっている。

ならばヘブライ語はどこに居るのだろう。
此岸から触れ得る位置にそれは居る。
現実に存在する。非日常を媒介する。

此岸と彼岸の狭間に身を置くものの役割とはなんだろう?

祈り、だろうか。

祈り。

ヘブライ語はかつてパレスチナで奏でられていた。
ユダヤの人々がその音を響かせていた。
歴史の波が人々を産土から遠ざけ始めたころからそれは始まった。
言葉は少しずつ音を失った。
波に呑まれて世界中に散らばった苦難の人々は、それでも神様への祈りを忘れなかった。
そしてその祈りは、ヘブライ語で紡がれた。
ヘブライ語は祈りのなかに生き延びた。

響きを失って生き延びることに成功した言語はとても少ない。
その中でもたったひとつ、人類史上で唯一、遙かなる時を経て再び人々に奏でられるようになった言語がヘブライ語だ。

その復活は、ある男がほとんどひとりで成し遂げた。
その男は強迫的とも言える情熱でヘブライ語の蘇生を試みた。
その結果、男の息子は、実に二千年振りにヘブライ語母語とする者となった。
奇跡は成された。
きっかけは男が抱いた祈りだった。
二千年の流浪を経て産土に帰る人々のためのたったひとりの祈り。
それが、祈りの中に生き延びていた言語を再び鳴り響かせた。

かつて、まだ文字がなかったころ、人々は祈りのための言葉を求めた。
神々や祖霊と交信する神聖な場に捧げるものだ。
暮らしの中で手垢に塗れた言葉では申し訳ない。
なんとかして神聖なるものたちへの敬意を示そう。
そうしていつもとは少し違う言葉を使うようになった。
神々に捧げた以上、その言葉は特別なものとなる。
その言葉は非日常性を帯びた。
日常の中で使うことは避けるべきものとなっていった。
言葉は、少し彼岸の側に移ろった。
此岸から触れ得るところに。
そうして、祈るときにだけ奏でられる言葉が生まれた。

やがて、人々は文字を手に入れる。
言葉は、文字に封じ込めることができた。
文字は、祈りを封じ込めることができた。

そして祈りは、時を越えて届くようになった。

「そうだったらいいな」
それが僕の辿り着いた場所だった。