冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

はじめる前からサブカルくずれ

 

禁煙。
気付いたら煙草を辞めて丸々一ヶ月が経った。
まだニコチンパッチのお世話にはなってるけど、紫煙を燻らすことからは遠ざかって久しい。
旅行先で誘われてシガーバーに入ったときすら我慢した。
マッカラン10年の味なんて全くわからなかったけど、葉巻の煙は副流煙なのに甘かった。
なにせもう煙草は辞めた。
Golden Batにフィルターがついて、あの愛すべき安煙草の歴史は一旦終わって、それを機会に僕の喫煙生活も終わった。
クールスモーキングしたときのあのふくよかな甘さ、鼻から抜けていくラムのフレーバー。
財布に優しく健康に悪く、何より臭いが最悪だった最高の愛しい煙草。
いま僕は電気ブランを飲みながらこの文章を書いているんだけど、電気ブランを飲みながらのGolden Batが如何に素晴らしかったかってことを書き始めると多分寝落ちするまで続くからここではやめておこう。
なんだか自分一人だけ大正時代のモダンボーイになったような気分がするから好きだったっていうのは否定できないし、そういうことを好むから「サブカルくずれ」と罵られることになるのだろう。

双極性障害
まだそれと断定されたわけではない。
それを一番に疑いつつ、とりあえずは抑うつ状態をどうにかしようってんでお薬が処方されている。
本当に躁鬱なら抗鬱剤打ったらさえガンギマるからヤバいはずなんだけど、っていうか既にガンギマったんだけど、お薬止めたらダウナー極まってどうしようもなくなっちまうからとりあえずまだアッパーなお薬を入れている。
けど上がり過ぎると怖いからね、下げる薬も入れとこうね。
なんだかギリギリのバランスらしい。
本当ならば気分安定薬だけでどうにかするべきだし、先生としてもそうしたいらしいんだけど、どうもオレの調子がまだよくわからんそうだ。
オレもよくわからんからな。
ガンギマった躁状態でパーリーピーポー目前かと思ったら指先を動かすのがやっとなくらいのヘヴィな鬱が来て無断欠勤一週間超、お盆を前に無事にクビだ。
とりあえず祖父に手を合わせに実家には帰ろうと思うんだけど、帰ってくるであろう祖父に合わせる顔はない。
仏壇に「クビになりました」って報告するの嫌だなぁ。
それ以前に親に報告するのも嫌だなぁ。
友達とかにはむしろ積極的に言っていきたいんだけどなぁ。
そういうわけで今んとこはまだただのメンヘラで、相変わらずの無職だ。
早く手帳が欲しい。年金もおくれ。
同居人に言われて膝を打ったのは、「人として機能してないんだから人としての義理とか言うな」って台詞で、ありがとう。
俺が記憶を捏造もしくは意図を曲解していなければ、おかげさまでとても楽になった。
人として機能してないんだ、マジで。福祉の網に引っ掛けて。

それにしても、己を病気で規定してはいけないけれど、病気の側は容赦なく己を規定しにかかってくることですよ。
失踪を考えたときにさー、「でも×日までに帰らないとお薬が」って思った己よ。
もしかしたら今まではなろうと思えば全くの別人になれたのかもしれないけれど、この病気が発覚したことで、すくなくとも双極性障害という檻からは逃れられないのだなぁと思うと、あぁ、とうとう明確な不自由が私を包んだ、と思った。
夕焼けだったし、無風だった。蝉の声は、実は聞こえていた。

で、無職。
やっぱり超しっくり来る。天職。
今日の散歩のテーマは「観光客気分」だったんだけど、一円も使わずにひとりぼっちで超楽しめてしまった。
オレは旅先ではいつも観光名所はむしろ避け気味に路地とか地元のスーパーとかばっか攻めるから、結果的に今日の散歩は徹頭徹尾ただの散歩だった。
心の底から生きているという実感があったし、なんで自殺とか失踪とかしようとしてたのかわっかんねえと思うくらい前向きになれた。
無職が確定した瞬間にこの心の変わりようっていうのは自分でも結構驚いていて、我ながらよっぽど日本社会の労働者向いてないんだねぇと憐憫の情を禁じ得ない。
でももうそれは仕方ない。
生まれついたのか育っちまったのかどっちなのかどっちもなのかそんなんはどうでもよくて、いま、ナウ、自分はそういう人間であるという事実。
失踪しようと手にとったパンフレットが「関西1DAYパス」だし、自殺どころかリスカも怖くてできないし、かと言って真っ当にこの日本社会にみんなとおんなじように参加はできないんだ。
知るかって感じだ。いや、ホント。
なんかね、最近ようやく改めてわかってきたんだけどね、価値を決めるのは決してお前らじゃねえよ。

価値の話をしようか。
資本主義経済の下の話は好きにしてくれていいけどさ、たとえば僕が仮にそこから半身抜けたらもうやっぱり価値を決めるのは俺だよ。
詩とか、音楽とか、物語とか、絵とか、関係性とか、美味しい珈琲とか、金魚鉢とか、竹箒とか、そういうものの価値を決めるのは市場原理じゃないよ。
この言葉は完全にパクりだけど、「恥を知れ。貧富の問題じゃない。敬意の問題だ。」の一行でわかる人はようこそ、わからない人はまた話を聞かせてほしい。
お金はとても便利であればあるだけいいし、俺もできるだけ欲しいし、そのためなら割と恥知らずなこともできる自負があるけど、けど、どこまで行っても金は金でしかないんだよ。

価値の表現の話がしたいんだ。わかってくれ。
価値を感じてそれを表現するときに選択肢のひとつとして金銭があることは否定しないが、金銭が唯一絶対の選択肢であることは絶対に否定しなければならないってことを、どうかわかってください。
そして、その上で、価値を感じたものには適正な金銭を支払ってください。
それができないような連中を資本主義の豚って言うんだって。知ってた?
そもそも価値を感じる能力自体が減衰しているような豚未満もチラホラと目に入ってしまう季節だ。
自分が何を欲望しているのかすらわからなくなってしまっている人たちはもう人じゃなくなってしまいかけている。
そんな人かどうかわからないものに人として機能しなくなりつつある僕ができることが何かあるだろうかと考えているよ。
本当だよ。

そういうわけで価値の話をした。
だから、価値を決めるのは俺だ。
俺が創ったものの価値は俺が決める。
我ながら今回は結構良い文章が書けていると思っている。
俺が良いと思ったものはこれからはどんどん出していくし、それは文章であり音楽であり映像であり絵でありなんでもありだ。
もう気後れしないんだ。
どう見られたって構わないってことと、人の目を気にしないってことは実は違うんだ。
前者は既に絶対的な価値を内包していて、後者は実は徹底的に価値を委ねる姿勢を取っている。
俺はずっと人の目を気にしない練習ばっかりしていたけど、それよりはどう見られたって構わないって決め込むことのほうが簡単だった。
四半世紀もかかっちまった。
けど大丈夫。これからだ。
もう俺は絶対に自由になれないという意味で素晴らしく自由なんだ。

そう、見ててご覧。
はじめる前からサブカルくずれだ、自由くらい完璧に履き違えてみせる。