冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

なにか、核となる部分

 

夏も盛りを過ぎつつある。
日暮れとともにかなり涼しくなるそんな街中を行く。
目的地は酒屋。後に鴨川。
完全に日が落ちる前の薄暗い京都・鴨川で呷るビール。
最高だ。
だけど間違えてほしくない。ビールだけが最高なのではない。
この時間、空間、ビール、俺自身、様々な要素で構成されたその一枚の絵画あるいは一本の映画が最高なんだよ。
わかったら一緒に飲もう。
お酒が飲めない人は美味しい珈琲ならどうだろう?

相変わらず、意志の強さというよりは愛の力で禁煙している。
自分の意志の強度については全く信用していないのでこれでちょうどいい。
だからこれからは愛を伴えるものだけをやっていく。
たとえばこんな風に文章とか、あとは音楽とか、人との交わりとか。
意志の強さに頼ることは大きすぎる揺らぎを生むけど、愛の力は自分の思う以上のパフォーマンスを生む。
やっぱり、世界は愛で動いていくべきなんだと思った。
本当だよ。軽々しく愛を口にするやつが嫌いなだけで、愛はとても大切なものだと思ってる。
愛はどうしようもなさの行き着く先だ。
そうせざるを得なかったものの成れの果てだ。
本物の愛で世界が動けば、くだらない茶番と必要のない自殺はもっと減る。
断言してやる。覚悟しておけ。

そういうような想いを端的に禁煙外来のお医者さんに伝えたところ、未だに煙草にポジティブな感情を持っているのはどうか、と言われた。
そもそも煙草にネガティブな感情を一切持たずに禁煙を始めて、だからこそ今まで全く問題なく続いているということがどうしてもわかってもらえない。
わかってもらえないのは、未だに、かなしい。
記憶の限りでは幼い頃からわかってもらうという体験が少ない人生を生きてきた。
あなたは変わってる、という一点でおもしろがられて気に入られて、おかげさまで得をしておもしろおかしく生きてはいるけど、やっぱりわかってもらえないのは未だに少し、寂しい。
そもそも主観的にも相対的にも僕は全然変わり者ではないとかそういう話を展開するつもりではない。
そんなもん流石にそろそろどうでもよくなってきた。
ただ、わかってほしいんだ。
何を?
それは自分でもわからない。
なにか、核となる部分だ、多分。

ただ、共感と同情だけは勘弁してほしい。
僕は経済的な利益のためなら恥知らずになれるけど、始まりが同情だったら、多分、捨てたはずの誇りが顔を出す。
蔑まれて放り投げられる百万円なら喜んで拾い集めるけど、哀れんで手渡される一億円なら目の前で燃やしてやる。
尊厳というものをわかっていない人間とはどんな形であれ関わりたくないんだ。
だから、僕は僕の病気に同情も共感もしない友人たちに囲まれていることを感謝している。
僕が笑う前に笑ってくれた幾人かについては、格別のそれを。

話が逸れた。戻す。
同情についてはわかってくれましたね?
じゃあ次は共感です。
とりあえずググッて出てきた意味を載せます。

デジタル大辞泉
「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。」

こっちならまだ百歩譲って許そう。問題は次のような定義だ。
残念ながら出典はWikipediaだけど、僕が忌み嫌う共感を完璧に言い表している。

Wikipedia
「共感は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。」

勝手に共有してんじゃねえ、クソ野郎。
悲しみも悔しさも怒りも全て俺のものだ。
理解はしてほしい。だが奪うな。
これは尊厳の問題だ。わかるだろう?

さて、それでもわかってほしいのだ。
わかりあえないことなんて完全に前提として生きているのに、同情も共感も拒むくせに、我侭極まりないな。
そういう人間だ。(あるいはそれが人間か?)

だから今日は、とても嬉しかった。
ちょっとした憧れの人から突然メッセージが届いて、僕の文章に感情移入したと言ってもらえた。

ああ、それだ、と思った。

それは奪わない。
むしろ与えて、分かち合う。
それだ。俺がずっと欲しかったもの。
そうか。だから俺はずっと文章を書いていたのかもしれない。
ずっと何かを創ろうともがき続けていた。
ようやく、ようやくわかった気がする。

高校に入ってから予備校に通ってる間までの四年間は、ひたすらに言葉を吐き出し続ける日々だった。
文章と声で、ひたすらに言葉を出力し続けた。
そうしなければ死んでしまいそうだった。
自分が消えてなくなるんじゃないかという恐怖から言葉を繋げ続けた。
けれど二十歳を超えた頃から徐々に言葉に対する疑いが強まっていった。
言葉の持つ意味というものに嫌気が差して、それから逃れるために広がりを持たせるために詩の形式を試み続けたけど、結局はダメだった。
そしていつの間にか僕は文章を書かなくなり、短文ですら曖昧に揺らがせることを徹底しようとした。
自分というものを消したかった。せめて言葉の上でだけは。
意味というものを否定したかった。自分を生存させるためにはそれが必要だった。
そして、文体というものを思い出したかった。自分を自分と認識するために。
そう、大事なことを言うけど、文体とか音色とかは思い出すものであって、決して手に入れるものではない。
それは決して手に入れるものではない。思い出すものだ。
誰もが忘れているだけなんだ。

でもね、本当はわかってたんだよ。
自分を曝け出す覚悟のない人間が、やりたいことすらやれない人間が、自分を思い出すことなんて無理なんだ。
文体も音色も、繰り返しの否定と底なしの欲望がぶつかる地獄みたいな境界線上にしか潜んでない。
そんなことくらい誰でも知ってるのに、知らないふりをし続けてしまっていた。
今はようやくちゃんとその地獄を見ることができるようになった。
そしてその理由は多分、僕のこころに双極性障害という名前が付いたおかげだ。

むかし、いま思い返せば躁状態が極まってたころ、妄想スレスレの思考の爆発を延々と友人に出力していた。
その内容のほとんどは忘れてしまったが、一部自分でもあまりにも突飛すぎて覚えているものがある。
そのうちのひとつだ。人間がテレパシーを使えない理由。
あれは、もし使えちゃったら、もし死にたい人の死にたさを完全にわかってあげてしまったら、多分その人も道連れで死ぬからだ。
死にたい人の死にたさを本当は本当にわかってあげてはいけないんだ。
それは希死念慮の完全な共有になる。絶対に駄目だ。
けれど、本当にそれが大事な人の命の天秤なら、ギリギリまで感情移入してあげてほしい。
多分それでも充分あなたも死にたくなっちゃうけど、踏ん張ろう。踏ん張ってあげてくれないか。
なんでこんな話をするかって言うと、名付けることの意味と、その後の話のためだ。

昔から思ってたし、そういう学問があるのも知ってるけど、名付けるという行為は本当にすごい。
呪術的な側面がとても強い。
それまでただの花だったものが、名前を覚えたその一瞬から「ガーベラ」になる。
同じことだ。
それまではただの生き辛さだった僕のぶっ壊れたこころが、「双極性障害」って名前がついたことでだいぶ楽になった。
寝ても寝ても眠かったあの異常な睡眠時間は抑鬱の症状だったわけだ。

実は本当は本当にそうかどうかなんてどうでもいいんだよ。
そういう風に言えてしまうようになるんだ、これで。
そういう意味ではラッキーだったと思っているけど、この意見が賛否両論なのはもちろんわかっているし、僕だって心身ともに健康になれるもんなら今からでもなりたい。
でも、僕は終わりのない苦しみってのは多分万人共通のものだと思うわけだ。
そしたら、それに名前をつけてもらえた僕達というのは、ある側面から見るとラッキーなのかもしれないって思えないだろうか?
初めて服薬して久し振りに簡単にちゃんと身体が動いたあの瞬間の感動と悔しさは多分一生忘れられないけど、だからこそ僕は無理にでも前向きに捉えたい。
生を肯定したいんだ。全てを。

間違ってほしくないのは、僕は決して病気を言い訳にしたいわけではないということだ。
制度は遠慮なく使わせてもらうし、権利は絶対に振りかざすし、病気で免責される諸々については存分に免れる。
双極性障害の側が規定してきた己の在り方を見た時に、「それはだいぶ生きやすいな」と思ったことも、事実いま生きやすくなったことも否定しない。

けど俺は絶対に双極性障害で自分を規定しないからな。
双極性障害が規定してきやがる自分についてはもうどうしようもないんだし、利用出来るだけは利用する。
それはひとつの諦めと開き直りで、それが生きやすくなった理由だ。

けど、俺は、絶対に、病気を使って自分の規定を試みることはしない。

精神障害という要素で自己の規定を図るということは、本当にそのまんま言い換えて、自分のアイデンティティの基盤を病気に置くということだ。
そんなもん、それをした時点であとは死ぬしかなくなっちゃうよ。
あなたが病気なのであって、病気があなたではないんだよ。

僕は生を全肯定する立場を執る。
それは何も生きることが素晴らしいとか命はかけがえがないとか思ってるからじゃない。
生き延びればさえ何か良いことがあるとも言わない。
そもそも僕は(いまは投薬でなんとかなってるけど)死にたさをずっと抱えてきた側だ。
じゃあなんで生を全肯定するのかって、単純な話で、「自分の死にたさ」を「あの娘への死んでほしくなさ」が上回ったことがあるからだ。

自分の死にたさと他者への死んでほしくなさを一度でも天秤にかけて、僅かでも後者に傾いてしまって、あなたが真摯であろうとする人であれば、もう答えは簡単です。
生を全肯定する以外には、整合性が取れない。
整合性が取れない。真摯であれない。真摯でありたい。整合性を取りたい。
どうしようもないんだ。そうせざるを得ない。

愛なんだよ。
どうしようもなさの行き着く先だ。
そうせざるを得なかったものの成れの果てだ。

自分で書いて自分で泣いている。
いよいよ精神病らしくなってきた。

愛なんだ。
世界に足りないものは。
みんなが必要なのは。
本物の愛で世界が動けば、本当に、絶対に、くだらない茶番と必要のない自殺はもっと減らせるんだ。

死にたさをどうにかするために必要なのは百万の言葉より一粒の錠剤だった。
生きるために必要なのは百万の錠剤よりたった一言の言葉だった。

なにか、核となる部分、それをわかろうとするあなたの姿勢が命を永らえさせるということを、どうか。
どうか覚えていてほしい。
少なくとも、僕はそれで生き延びられた。
それが良かったのかどうかはわからないけれど、それで良かったのかどうかはわからないけれど、とにかく僕は生き延びた。
生き延びたんだ。