冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

自意識の色調

 

なんだかいつの間にか一週間近く間隔が空いた。不覚である。

電車の中でiPhoneをぽちぽちやってこの文章を書いているが、正直、寝不足の頭では纏まる気がしない。

それでも書くことはやめたくないので散漫に書いていく。

 

この一週間は楽しいことばかり起きているのに極めて精神状態が悪い。

抑鬱かと思ったが身体はとても軽いのでそうでもなさそうだ。

混合状態というものとも少し違う気がするし、やはりただ単純に精神状態が悪いだけなのだろうか。

だとしたらこれこそが健常者が感じる辛さなのだろうか。

もう自分が健常者だった頃のことなんて思い出せないので新鮮な気持ちだ。

 

書くことはやめたくないと書いたが、別に文筆業をやりたいわけではないことは最近改めて確認した。

書くことで金銭が発生すればそれは嬉しいけれど、それを主軸として生計を立てていこうという意志は自分の中になかった。

結構探したのだけど見つからなかった。

なんとなく十代の頃はぼんやりと小説家や文筆業に憧れていた気がするので、時の経過によるものなのかもしれない。

 

というか、そもそも自身が金銭を得て生計を立てていこうという意志が希薄な人間であることがどんどんわかってきた。

どうも一般的に想像される金銭を得るための手段はそのほとんど全てが自分にとって苦痛が大きく、端的に言ってコストパフォーマンスが悪い。

これは障害の問題ではなく人格の問題だろう。

本当に心の底から人の役に立ちたくないと思ってしまう。

積極的な欲望はいくつかの物欲を除けばやはり「人心を惑わしたい」の一言に尽きる。

そういう類の人間である以上、他の社会を知るまでもなく、この社会だけでなくどの社会にも完全には適応できないのだろうと思う。

どれだけ友人に囲まれていてもずっと居場所がない感覚があるのはそういう理由なのかもしれない。

 

金銭の心配は全くしておらず、それには全くの根拠がない。

自分には昔から「どうせ金はいくらでも手に入る」という強い思い込みがあり、この期に及んでもまだその信仰は折れない。

我ながらもったいないと思う。

病気でさえなければ相当強いメンタルの持ち主として生きられたはずだ。

 

双極性障害との付き合い方がまだよくわかっていない。

先生の口から確定した診断名を聞いたときは安心と共に悔恨を感じた。

これから一生リチウムを飲む生活だということにはまだ現実感が湧かない。

せめてこの精神障害を全力で利用してやろうと思う。

これはポジティブに考えているわけではなくて徹底した諦観によるものだということをわかってもらえると嬉しい。

 

やはり全体として暗い色調の文章になる。

それにしても俺は十年近くに及んで徹底して自分のことしか書いておらず、我ながら少し感心してしまう。

自分のことが好きというよりは自意識の取り扱い方が下手なのだろう。

認めるわけにはいかないが、他者にまで視野を広げる余裕がないのかもしれない。

そんな人間が他者に向けての表現を活性化させていこうというのだから無謀だ。

けれどやりたいことをやると決めた以上はやっていく。

 

薬を服用するようになって一番変化があったのは病状よりも思想・信念だった。

薬剤で精神が簡単にコントロールできる以上、生きていくためには好きなことをやるしかないという考えが先鋭化した。

させるしかなかった。

人間が所詮電気信号と化学物質によるシステムである以上、自由意志の存在を信仰するためには欲望を可視化するしかないと思った。

生を肯定するためには自由意志の存在が不可欠で、そのためには欲望の可視化が絶対条件だ。

自分は好きなことをしたという証拠が自分が生きていくための根拠になる。

 

そういう観点から言うと、これから始める諸々の最初期は他者の存在を無視したものになってしまうかもしれない。

当然できる限り最大限それは避けるべきだと思っている。

何せ始めるのがかなり遅れた。

これから色々と探っていくしかない。

生命のためというよりは生存のためにやっていく。

 

夢で見た「岡山県ひひひ市」というフレーズが頭から離れない。

 

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