冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

助けてくれ

 

圧倒的な無力の前では気力も努力もあったもんじゃなくて、九月は俺の鬱、本当に丸々一ヶ月死んでいた。
働かなければという焦燥を抱えながら、動かない身体に悶ながら、どうしても外せない用件のために地元に帰れば地元で倒れ伏し、這々の体で京都に戻れば京都で置物と化していた。
26年の人生の中で積極的に働きたいと思ったことなど数少ないが、先月はずっとそう思っていた。
それは単純な証明になると思ったからだ。
身体が動く、人並みにやれる、まだ大丈夫、そういうことを証明したかった。
双極性障害というのはよく言われているように躁よりも鬱のほうが厄介で、その厄介さを痛感させられた一ヶ月だった。
八月上旬の身体すら動かなくなる抑鬱のほうが諦めがつくだけ幾らかマシで、先月のそれは身体はギリギリ動いてしまった。
心に躊躇い傷が増えていく感触だった。
俺はもしかしたら本当は今すぐにでも社会的な行為ができるのにただ怠惰によって先延ばしにしているのではないか、という考えが何度も頭をよぎった。
自分を責める感情にばかり支配されていた。俺は無価値だ。俺は無意味だ。俺は存在していてはいけないんだ。そう思っていた。
このまま死んでしまうかもしれないと思いながらも積極的に死に向かわない限り生命は続いてしまう。
そのために何の言い訳もできない完全な借金まで生まれてしまった。
加えて、九月の死は医療すら俺から奪おうとする。
丸々動けなかった間に無保険扱いになっていて、遡って医療費全額支払いの可能性が出てきた。
端的に言って破産だ。貯金なんてもうほとんどなくてそもそもの生活が怪しくなってきたのに、医療費の支払いなどできるわけがない。
生き延びるために仕方ない、と割り切って作った借金の数十万円は仕方ないけれど、保険の切り替えに関しては勘弁してくれという思いだった。
制度だから仕方ないのかもしれないし、もしかしたら遡って保険を支払うことができて事なきを得られるかもしれないが、ただひたすらに面倒臭さを募らせている。
健康に生きられる人間じゃないとまともに受けることができない福祉というのはやはり設計上のミスだと思う。
特に俺みたいに精神が終わっている人々にとってはそうではない他者が想定する数十倍のハードルがそこにはそびえ立っている。
おそらくは単身の傷病者を想定していない時代につくられたシステムなんだろう。
あたりまえに家族が前提としてあるんだと思う。
家族。
一身上の都合で実家を出ざるを得ず、他者の人生に責任が持てる甲斐性がない俺に、その前提は辛すぎる。

こういうときに都合よく差し伸べられる救いの手、というものが人によってはあって、自分もそれを淡く期待しないではないけれど、見えてもいない他者に寄りかかることが何の解決になろうか。
死んでしまってもいい、とは思っているけれど、積極的に死にたくはない。少なくとも今はまだ。
ならば、問題を解決するしかなく、そのためには精神が終わっていようと身体が鉛になっていようと動かなければいけない。
天は自ら助くる者を助く、という。
ファック・オフである。
今までの人生を間違っていたとは言いたくないけれど、一点だけ絶対に修正しなければいけない部分があるとすれば、自ら動こうとしなければ周りもどうしようもないということだ。
幸いにも自分は運だけでなんとかなってきたし、この期に及んで多少は楽観していられるのも幸運によって得られた僅かばかりの知識のおかげだが、人生の運用を全て幸運に任せるわけにもいかなくなってきた。
少なくとも生き延びたければ叫び声をあげる必要がある。
助けてくれ。
その一言で差し伸べられる手は思ったよりも多いはずだと信じたい。
だから、助けてくれ。未来の俺やどこかの誰か。

とはいえ現在己で出来ることは可能な限りやらねば仕方がない。
福祉に殴り込むことや職に就いて食い扶持を稼ぐことはもちろんだが、それは生存に必要な行為であって、それだけではすぐにまた死が訪れる。
我々に必要なのは何よりも精神の安定であって、それはもしかすると単純な生存よりも優先されるべきものかもしれない。
だから最近は精神の均衡を保つために少しずつやることを増やしている。
継続が力を生むかはわからないが、意地が発生することは周知だ。
愛によって煙草をやめてからもうすぐ三ヶ月、誰に望まれているわけでもないInstagramももうすぐ一ヶ月。
ツイキャスやSoundCloudも続けられる限りは毎日続けるつもりだ。
たとえ職に就いたとしても可能な限りは毎日やりたい。
その内容や自分なりの意義については、また改めて書きたいと思っている。
誰に読んでもらう予定もないけれど、書きたいと思っている文章はたくさんある。
何になるわけでもないけれど、やりたいと思っていることもたくさんある。
とにかくまずは自分がおもしろいことをやりたい。
そして可能ならば誰かにもそれを楽しんでもらえるようになりたい。
ゆくゆくは、やわらかいものをつくりたい。

明確な出典は見つからなかったけど、借金を苦に自殺する人間の、その金額のボリュームゾーンは200万±100万円だそうだ。
つまり俺がいま死んでしまうと、一番ありがちな原因での自殺になってしまい、それは全くおもしろくない。
せいぜい良くて「いいやつだったのにな」「おもしろいやつだった」と悲しんでもらって終わりだ。
コンテンツにもなれやしない。そんなのは絶対にゴメンだ。
死後も語り継がれる存在になりたいわけではないけれど、ありがちに消費されることへの嫌悪感は隠せない。
人間は人間である限り類型から逃れることなんて出来ないんだから、だとすれば少なくとも死ぬときくらいは類例の少ない死を望みたい。
そう思う原因がどこにあるのかは自分でもつかめていないけど、そう思うものは仕方ないでしょう?
だからまだ死ぬわけにはいかないし、ここで終わるわけにはいかないのだ。
病気は薬でなんとかできる、金銭は生きていればなんとでもなる。
日に日に双極性障害という病気を憎む気持ちが募る。
こんなはずじゃなかったと思う、なんで自分ばかりと思う。
けれど折り合いを付けていかざるを得ないのだ。
多分生きていくことはそういうことだ、と誰かが言っていたのを聞いたことがある。
人生だ。
分解して部品を検品していけば、おそらくそのほとんどが「面倒臭さ」で作られている。

俺にはまだできることがたくさんあるはずだ、と己に言い聞かせることしかできない今が歯痒い。
十代の頃の万能感はやっぱり日に日に衰えていて、こんなところだけレール通りに進むことに納得がいかない。
現在の自分が過去の無数の自分の総決算だと考えると、俺はやっぱり、まだ何一つ成し遂げられていない。
下手に地元の名門高校に進んだばっかりに、自分は高卒底辺なのに周囲はエリートだらけで感覚が狂ってしまっている。
こちら側とあちら側を区分けするものは何だろうかと、考えたくもないことを考える毎日だ。
答えなんてわかっているけれど、それを認めたくはない。
それを認めたくはないということも自分を死から遠ざけてくれている。
あるいはそれもありがたいことなんだろう。
何よりもまずは死なないことが大切なのだから。

天は自ら助くる者を助く。
なにはともあれファック・オフである。
俺は自分の人生が解決したら迅速に誰かの問題を助けたいと思っている。
とにかくいまは自分に力が、甲斐性がないことが悔しくて仕方がない。
エゴでも偽善でもなんでもいい、自分がされて嬉しかったことをひとにしたいと思っている。
傲慢だろうが構わない、「都合よく差し伸べられる救いの手」を俺は可能な限り差し伸べたい。
天は自ら助くる者を助く、なんて弱腰の姿勢には、やはりファック・オフしかあるまい。

しかしとりあえずは己の生活である。
死にはしないと思っているが、このままでは不都合が多すぎる。
助けてくれ。
誰か。
明日の俺か。

 

広告を非表示にする