冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

「かわいい うれしい」

 

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最近よく泣きそうになる。情緒が不安定になっている証拠だ。

その延長なのか、この記事を読んだときは号泣してしまった。

いい歳をした大人がしゃくりあげて泣いた。

泣いた理由は自分でもわからないし、安楽死の是非もここでは問わない。

とにかく、号泣してしまった。その事実だけが残った。

情緒が不安定になっている。

それは貧困と関わりがあるのだろうか。

病気との関わりがあるのは自明なので今更問うまでもない。

 

最近はよく四方井さんの絵を観ている。最近は、というより、毎日観ている。

熱狂的なファンというのだろうか。それよりはもう少し悪い表現の方が適切な気がする。

何せここ半月以上、四方井さんの絵に言及しなかったことがない。

そろそろご本人に怖がられるんじゃないかと自分で思うくらいだ。

それくらい僕は勝手にあの人の絵に救われ続けている。

特にこの絵だ。この絵がアップロードされてから観なかった日がない。

観るたびに泣きそうになったり救われたりしている。

泣いている女の子を笑顔にする「ぞうさん!!!」はとても尊いものだと思う。

願わくば自分のところにも来てほしいし、傲慢にも自分自身がそうなれたらとも思う。

「かわいい うれしい」が何よりも大事なのだ、本当は。

人間は忙しすぎてそんな単純なことを忘れてしまっている。

貧困も病もないのだ。

「かわいい うれしい」を見つけたり、分け合ったりする暮らしができればそれでいいんだ。

 

双極性障害という病には相変わらず振り回されている。

九月はまるまる鬱で潰れたし、十月に入って少しマシになってきているかなと思ったら一昨日くらいから九月よりも悪い鬱に入りかけている。

躁転したいと思うことしきりだが、躁転後の恐ろしい抑鬱を考えるとそういうわけにもいかない。

金銭はどんどん目減りしている。

頼りにしていた福祉制度もどうやら要件を満たしていない可能性が出てきた。

その落胆も抑鬱を引き寄せたひとつの原因だろう。

結論としてはこの状態で就労するしかないのだが、それができないからこの状態に在るわけで、矛盾をねじ伏せて精神を誤魔化して身体を動かさなければいけないという事実がより抑鬱を加速させる。

何もかもが悪い方向に向かっているという錯覚が自分を支配しつつある。

それをメタ的に認知して面白がれているうちはまだ大丈夫かな、と思っているけれど、果たして。

 

十月に入ってからやり始めたことがある。

「食われかけのメジロ」という自分たちでもよくわからない音楽の公開だ。

十九歳の時から同居人の谷口と共に断続的に、今に至るまで七年も続けてきた。

誰に聴いてもらうこともなしに、ひたすらに録音だけを重ねてきた。

それを音楽と呼ぶこと自体が音楽に対する冒涜だと思うし、思われても仕方ないとも思う。

けれどこれは本当に僕達なりの音楽の一形態だということがいつか伝わればいいなと思っている。

というか、伝えるために押し付けるために七年越しに活動を始めた。

いまの段階でちらほらと反応してくださる方が居るのは本当に嬉しいし幸いなことだ。

やはりやっていくことが大事なのだなと改めて感じている。

やっていく。

メジロ以外にも、ふたりとも真面目に、というとおかしいが、一般的な定義に則ったかたちの音楽もやっているので、そちらも近いうちに公開していく。

しかしやはり僕達がいま一番力を入れているのは一番ウケが悪そうな「食われかけのメジロ」だ。

できる限りの手を尽くして一人でも多くの人を困惑させることができれば、と思っている。

 

そういえば最近はツイキャスというものをやっている。

これももう半月以上は毎日続けている。

基本的には谷口に音楽的なことをさせるためにやっているのだけれど、これがまあびっくりするほどウケが悪い。

なんとなくその理由もわかっているのだけど、改善するとそもそも始めた理由から遠ざかるし、どうしたものかと考えている。

思っていたよりも自分たちは記録媒体向けであるらしい。

配信のリアルタイム性を上手に活かすのは難しいということを痛感するばかりだ。

何よりも問題なのは、自分がひとりで夜中に精神病に関連した話を愚痴っているときのほうがよっぽど集客力があるということだ。

観てくださる方々が居るのは本当に嬉しいしありがたいのだが、眠剤でヘロヘロになりつつ愚痴っているだけの内容が果たして観てくださる人々を満足させられるものになっているのか、そして毎日やっている配信のウケの悪さはそこまでのものなのか、という思いが去来する。

だからと言って毎日の配信は続けられる限りやめるつもりはないし、個人的な配信も自分自身が愚痴を言いたいだけであるという前提がある以上、両方ともこのかたちで続けていくしかない。

そしてどちらについても奇特な方々にお付き合いいただけていることは本当に嬉しい。

その中で有益な意見交換ができていることや、自分たちだけでは届くことのなかった知識を御教授していただけることがあるというのはとてもありがたい。

実に喜ばしいことだと思う。

 

喜ばしいことだ、で終わらせてはいけない。理由を述べよ。

毎日の配信については既に述べたので、愚痴についての話を。

そもそも何故愚痴を零しているのか。

ひとつに福祉制度についての不満、もう一つが精神病患者に対するいまも払拭できていない偏見、その二点に自分が翻弄されているからという理由だ。

これは自分が言い始めたことでもあるし、勧めていただいたことでもあるので、近いうちにちゃんとした記事として纏めて公開できれば、と思っている。

そのためにはちゃんとした勉強とある程度具体的な取材が必要で、それに要する時間と気力を振り絞らなければいけない。

抑鬱気味でもなんとか身体を動かそうと思っているのはそういう理由もある。

なんとか自分に出来ることをして、それで誰かが楽になってくれれば幸いだ。

それは利他的な行動ではなくて、あくまで利己的な行動としてやっていきたい。

そもそも自分はボランティアというものにファック・オフという気持ちを抱いているので、善良な人格としての行動は全く御免被るのだ。

誰かを生き延ばすことができれば巡り巡って自分も生き延びられる気がする。

それが唯一の大きい理由だ。

思いついたり考えてもらったりでできそうなことはいくつかある。

ひとつずつやっていけたらと思う。

誰かの「ぞうさん!!!」になるために、「かわいい うれしい」を広げるために、何よりも自分が生き延びるために。

少なくとも現在の自分については、「生きろ」と言ってくれる他者がいるうちは可能な限りその想いに応えていきたいと思っている。

いつかまた考えが変わる可能性も充分あるけれど、とりあえずは現在とその延長の未来だ。

 

存命していきましょう。

みなさん、存命です。

とりあえずはそこからです。