冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

さして綺麗でもない夜景

 

今日は精神が完全に終わっていた。
こういうときはいつも考える。
この辛さは病気に由来するものなのか、それとも単に調子が悪いだけなのか。
この問いはいともたやすく自分を追い詰める。
「わたしのこころの弱さは病気が原因のものなのか、それとも単にわたしが弱いだけなのか」
辛さも弱さも結果だけを見て対処だけをすればよいのだろうけど、それができない。
それはこころが弱いからだろうか。
だとすると、そのこころの弱さはどちらに起因するものだろう?

自分のこころが弱いからだ、と断言できる想い出が蘇った。
今日というよりはつい先程。
それは若さと恋愛を主軸にして込み入ったよくある話で、もう完璧に想い出として彫刻された記憶だ。
だから結果だけを語ろう。できるだけ修飾して。
ままごとのような逃亡と、互いの傍らに居た友人。
さして綺麗でもない夜景を四人で見たこと。
「あの頃はまだ煙草を吸っていなかったはずだ」と思った。
夜景は特筆すべきことがないくらいには特別なものではなかった。
なのに本当に鮮やかに思い出すことができた。

記憶というものは積極的に捏造される。誰の手でもなく自分自身の手によって。
たとえばそれは今日の僕のような夢の中での捏造もそうだ。
それは昨晩かすかに感じた懐かしさを頼りにつくられた切なさだった。
そこには嘘みたいな密度の想い出が詰め込まれていた。
その手触りは間違いなく本物だった。
けれど、全てが捏造だった。
目覚めてから確かめた手触りは全て後悔を伴うものだったが、その心当たりを手繰ることに躊躇いはなかった。
そういえば、この辛さはどちらに起因するものだろう?

積極的な記憶の捏造のなかに人間は生きていて、それが夢と混ざり合った色彩のなかにだけ過去は存在する。
いつからかそんなことばかり考えるようになって、だからその枠組でしか生きられなくなっていた。
時計がただ秒針の音を鳴らし続けるだけの装置に思えて、だからデジタルの時計が使えない。
僕は過去が一定のリズムで色彩に加わっていくことを想像しながら眠りにつく。
それが今日のような捏造を生むとしても。生むからこそ。

「わたしが弱いだけなのか、病気が悪いせいなのか」
どちらにせよ答えが出ない問いであることは間違いない。
そして少なくともその答えを過去に求めたとき、記憶は積極的に捏造されるだろう。
その捏造は――善悪を問わないのならば――むしろ福音としてあるものだ。
あなたの過去が素晴らしく捏造されることを祈ろう。
できるだけ多くのあなたに祈ろう。