あるものこばみ

見える限りの遠くの向こう

なんとなくゆるしてしまう


ようやく甥と姪の顔を見ることができた。

正確に言うと従甥、従姪というらしいが、そんな面倒くさい言い方はしなくていいだろう。
僕には三人の従兄弟が居て、上から姉、兄、兄。兄二人は兄弟だ。
一番上の姉とは一回り、一番下の兄とも確か7つか8つは離れていて、だから小さい頃から随分とかわいがってもらっていた。
そしてある時から兄二人とは疎遠になってしまった。それが冒頭の一文につながる。

疎遠になった原因は僕が叔母を憎むようになった原因でもあり、それは伯母と叔母の対立が決定的になった原因でもあった。
詳細はどうでもよくて、ただそういう事実があって、それぞれに言い分があって立場があった。
つまりそういうことだ。
叔母の息子たちである兄二人とは、僕が叔母を憎むようになって、だから避けるようになったことで疎遠になった。

それからもう随分の時間が経った。
偶然、久し振りに叔母と顔を合わせた。
なんとなくゆるしてしまった。
こういうことがやっぱりあるんだなと思った。

つい先日にも似たような出来事があって、これも(より積極的な理由で)仔細は語らないが、その再会は三年振りだった。
再会それ自体は「なんとなく」の産物ではなかったけど、そのきっかけになった自分の心変わりは全く「なんとなく」だった。
なんとなく、いつのまにか、心の区切りがついていた。

我ながら慧眼だと思う。
要はこういう感じで無自覚に精一杯時間の力を借りることで、なんとなく心変わりができたし、なんとなくゆるしゆるされることができたのだろう。
僕はこれをたいへんによかったと思う。

そういうわけで、叔母から兄二人それぞれの子供を見せてもらった。
どちらもとてもかわいい。
姉のところの子供も合わせて、僕には甥が二人と姪が二人いる。
早くお年玉をあげられるようになりたい。

ひとはなんとなくひとをゆるせるということ。
なんとなく全部ひらがなで書きたくなる一文ですね。(了)