冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

立方体と逆U字

 

死が近い。時間ではなく距離の話だ。

俺は自分の人生を楽しいと思っているし自分のことが大好きだけど俺自身は必要ないんじゃないかという考えが延々と頭蓋の中で反響している。

これは病気の産物だとちゃんと知っているけれど、こうも繰り返されるとそれ自体にうんざりして誘惑に負けそうになる。

GWが明けて暫くはむしろ精神は穏やかに向かっていた。

壊れたレコードみたいな他人事の希死念慮をずっと聴かされるようになってまだそれほど経っていないと思う。

裏を返せば毎日ではなくてもたった一ヶ月程それが起き得る状態になるだけで「誘惑」と感じるほどには判断力が低下するということだ。

 

死を遠ざける必要が生まれている。

けれども、と思う。

そもそも人間はいつだって死を遠ざけようとしてきた生き物だったのではなかったか。

自殺はだからこそ人の歴史の中でも未だに特別な死の形式としてあるのではなかったか。

死を遠ざける必要が生まれている。

それは実は誰にでも常に生まれている。

それに気付かずに居られる状況を創り出した人間の強欲を思う。

俺はそれに気付いたことを幸運だとは思わないが、味わう他はないとも思う。

 

広場の隅、あれは一応椅子なのだろうか、石で出来た立方体に老人が座って煙草を吸っていた。彼は少し長めの白髪を無造作にオールバックにして、少しだらしなく、しかし品格を保ったままワイシャツとスラックスを着こなしていた。脚を開いて背中を丸めて心底気怠そうに、どこまでもつまらなさそうに煙を吐く。ただ視線だけは落とさずに、おそらくは城か、その上の空か、でなければその白と青の対比か、そんなものを眺めているようだった。その表情は景色を楽しんでいるようにはとても見えない険しさで、けれどもずっと一点を見つめたままゆっくりと煙草を燻らせていた。

 

高架の下、逆U字の車止めを股の間に挟む形で腰を下ろした初老の男が煙草を吸っていた。結論から言うと彼はホームレスのように見えた。ぼさぼさの頭の下にはどこにも清潔感を見出せないようなぼろぼろの服を纏っていて、肌はやたらと日に焼けていた。横断歩道の中継地に少し離れた柱の隣、そこの車止めに跨って足をぶらつかせながら、楽しそうに人の行き来を見ている。見られている人たちは誰も彼のことに気付いていない振りをして歩いていく。彼は時折顔を上げて、どこも変わったところのない灰色の高架を見ながら殊更に昇らせるように煙を吐く。電車の走る容赦のない轟音が響く。顔を下ろしてまた楽しそうに横断歩道を渡る人を見る。そのにこやかな男は思い出したように右へ左へ視線を移してはぼんやりとたくさんの人を眺めて立て続けに煙草を吸っていた。

 

死を遠ざける必要がある。

俺はそれを断言することはまだできないけれど、世界は美しい可能性があると、そう思う。