冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

生温い夏の夜

 

まずはBill Evans TrioのWaltz for Debby、次にAldo Ciccoliniの手に依るErik SatieのGymnopédies 第1番、Glenn GouldKeith Jarrettを経てrei harakami のLiveでグラスの中のFour Rosesを飲み干し、ヘッドホンを外すと真暗の部屋に扇風機の静かな騒音。如何にも通俗な選曲。生温い夏の夜。少なくとも今夜は人の声を聞きたくない。

こんな風に俺は時々本当にどうしようもなく人間と相対することができなくなる。自分以外の人格に直接触れたくない。けれども心の底から人間を求める性質が骨の髄まで染み込んだ自我はそれを完遂することができない。そして人間が生み出した美しい上澄みだけを掬いとって味わおうとする。贅沢な折衷案だという自覚はある。だからバーボンはグラスにロックで一杯だけ。泥酔はしない。酩酊も避ける。ただその美味を味わうためだけの一杯。バーボンはね、値段の割に美味しいものが多いんだ。今の俺みたいな貧乏人にはちょうどいい。

土曜に観たユトリロはとても良かった。可愛い聖体拝受者。特別に特別さを強調されていただけあって本当に抗い難く美しい一枚。並ぶ絵の中を一周し、二周し、疲労を感じ、同行してくれた昔の恋人に軽く促されて帰路に就きかけるも、やっぱりどうしてもこの絵からは離れたくない。結局二十分か三十分か、とにかく長い時間をあっという間にずっと観ていた。帰り際、見兼ねた彼女が絵葉書を買ってくれた。光沢を伴ってしまったそれは当然だけど本来の魅力が損なわれていて、それでも本来の魅力を想起させるのに充分なきっかけとして働いてくれる。それくらいに俺は本物の本当に触れることができたはずだ。いつか縁があればまた観られるだろうそれを想像する。今度は一時間でも二時間でも。ユトリロ。白の時代。可愛い聖体拝受者。淡い水色と美しい白だけで世界を閉じ込めた一枚。

何にどう触れたとしてもいつも思うことだ。

俺は芸術を解せない。ただ敬意を払うだけ。

絵でも音でも小説でも落語でも何でもいい。本当になんでも。経済活動でも学術研究だっていいんだ。とにかくありとあらゆる研ぎ澄まされてそこに在る様々を、俺は俺の中で解体して咀嚼して昇華することがどうしてもできない。俺はただ敬意を払うことしかできない。なのにそれを表すための金銭もなければ語彙もない。本当のろくでなしだ。そしてそれを確認した俺はまたしても生きるために必要なものを考えようとしてしまう。吊られたロープ、マンションの10階、単純な刃物、躁転、それの志向するものの方向と増幅の制御。やっぱり双極性障害は厄介な病気だ。楽しくて仕方がない。それはそれとしてそろそろ一つ言っておきたいんだけど、iPhoneでまとまった文字数を書くのはこれで三度目のはずで、やっぱり面倒臭いし書きにくい。誰か文章を書くためだけの安いノートPCなんかがあったらくれよ。ダメか?酒も飲ませてほしい。Maker's Mark。電氣ブラン。それだけじゃない。俺は遠出を欲している。金の工面さえしてくれれば俺は大体どこにでも行ってあなたの好意に甘えて飯と酒を楽しむだろう。俺の代わりに俺で浪費してくれ。気が向いたら俺に性的逸脱をさせてくれ。せっかくの躁転が勿体無い。こんな風に人を拒絶したり挑発したりするしかない不機嫌が増幅された躁転は不愉快でしかない。誰か俺を助けてくれ。それが素直な気持ちなんだけど、この病気に於いて「素直な」という形容詞の持つ意味合いはどこまで変容してしまっているんだろうか。まだわからない。俺は別にそれがわからなくてもいい。十中八九躁に入った脳はそう判断する。殴りすぎた内腿が青く内出血を起こしている。

少なくとも俺は社会的に死んでいる。おかげでいま肉体も精神も自覚的に閉じ込めることができる。その状態を素直に受け止めることは複雑な感情を渦巻かせるけど、不用意に人を傷付けることがないと考えれば幸運なことなんだろう。「ポジティブ・シンキング」とやらが人間には必要なんだ。前向きに前向きに。どうせ前に進めば進むほど死に近付くのは間違いないんだけど、後ろに下がるとあっけなくすぐに死ぬだけだし、それはまあ、つまらないんじゃないかしら。

こんな時間になっても未だ夜は夏で生温い。バーボンはね、本当に、値段の割に美味しいものが多い。扇風機だけが命を繋ぐ静かで耳障りな夜、マイスリーロヒプノールに導かれて睡眠にまさにいま落ちようとしているところ。

僕は本当にみんなが大好きだし、その中でもやっぱり特別に扱いたい関係というものもあるし、だから心が揺れてしまうこともあるね。

これから僕は少しのあいだそういうところから離れて日々を過ごしたい。ゆるしてほしい。

おやすみなさい。さようなら。