冥王星を取り戻せ

見える限りの遠くの向こう

携帯電話が死んでいる

 

タイトルの通りだ。携帯電話が死んでいる。春頃から死んだり生き返ったり。今回の死は今までで一番長い。もうそろそろ一ヶ月になろうかというところか。とはいえ蘇生の幸運は当分訪れそうもなく、このまましばらくはカメラとメモ帳を兼ねた無駄に高価な機械として携帯することになる見通しだ。もしかしたらずっと。とにもかくにも金がない。おもしろきこともなき世をおもしろく。ついでに三千世界の鴉を殺して、けれど朝寝の相手が居ない。
携帯電話が死ぬようになってから、正確に言うと死んだり生き返ったりするようになってからよくわかったんだけど、いまの生活をしている限り携帯電話がどうしても必要になることというのはそれほどない。自宅にWi-Fiが飛んでいるからというのもあるけど、それにしても外に出た時に通信ができなくて不自由を感じることもほとんどない。少なくとも自分は。とはいえ俺と落ち合おうとする相手は大変だろう。2017年にもなって一発勝負の待ち合わせをしなければいけないのだから。家を出る直前に到着予想時刻と待ち合わせ場所を連絡してそこに向かって会えるか会えないか。俺は大層楽しんでいるけれど、みんなには申し訳なく思わないではない。

電波が届く範囲ならどこに居たってコミュニケーション可能な現代で電波を全く受信できない状態に陥っているというのは思ったよりも自由だ。自由には責任とかなんか難しいものもたくさんくっついてくるらしいけどまあとにかく自由だ。こちらの状況を知っている相手は俺に連絡がつかないとしても諦めるしか仕方ないわけで、つまり俺が外に出ているあいだは基本的に誰も俺を捕まえられない。賢人面した老人が山の奥の更に奥の別荘に引っ込んだり何かに理由を付けてインターネットを拒んだりしているって話がたまに耳や目に入る度にははあ大層自己プロデュースがお上手ですね流石流石と小馬鹿にしていたけれどいざ自分がインターネットから切り離されるようになってよくわかった。これ楽だわ。なるほど現代の病。病のおかげで貧困になって貧困のおかげで病から開放されて、ならついでに病のおかげで病が治ってぐるぐる回ってくれればいいんだけどね。いやぐるぐる回っちゃダメか。
インターネットというものに触れたのが確か10歳の頃だからかれこれ17年、携帯電話を買い与えられたのが高校受験直前だからもうそろそろ12年、まあだいたい多感な思春期からこっち人生の半分を何かしらのかたちでインターネットと共に過ごしてきたわけで、そりゃ全く何の通信も不可能な状況に新鮮味も感じるかと納得する。甥っ子は今年で小学二年生なんだけどそれはつまり生まれたときからスマートフォンが手元にあった世代ということで、彼がいまの自分の歳になる頃が楽しみだなと月並みなことを思う。文化や文明や個人を取り巻く環境は間違いなく人格に影響を与える。願わくばあの子のこれからに幸多からんことを。けれどとりあえず俺の状況が少しはマシにならんことを。あいつに本の一冊でも買ってやりたいし。という風に善良な人格を有していることをさり気なく見せる自己紹介。

とにかく文章の感じからわかるかもしれないけれど僕は今日は既にまあまあな飲酒をしている。携帯がなくても日々を生きていけるのと同じくらいには酒がなくても夜をやりすごせるんだろうけれど、まあ少なくとも酒は携帯より歴史が長いし、人間の暮らしにそれなりに馴染みがあるもんだから目を瞑ってもいいと思う。

って感じでこんな風にいつだって大人は適当なことを言う。友人の言葉が頭の中を巡り巡る。

「わかっとると思うけど真実はいつもひとつやで」

ほんまやで。