あるものこばみ

見える限りの遠くの向こう

和らぎ水


自分は日本人にしてはかなりアルコール耐性があるほうだと思う。
それがよくない。調子に乗って飲みすぎて失敗したことが何度あるか数え切れない。
なので俺は数え切れないほど反省している。なのに反省しても反省しても反省の種が生まれる。
これではいけないと思った俺は対策を考え始めた。どうするべきか。先人の知恵から学ぼう。

和らぎ水。酒の合間に水を飲むことにより深酔いを防ぐらしい。へえ。
理由はともかく美しい言葉だから採用。
俺の基本方針は和らぎ水でいこう。あとハイチオールC。水商売の人が愛用してんなら間違いない。

というわけで俺は酒を飲むときはできるだけ水を飲むようにしている。
美しい言葉というのはそれだけで動機になる。
「いま俺は和らぎ水を飲んでいるのだなあ」と思うためならちゃんと水を挟める。

和らぎ水。美しいなあ。

和らぎ水に類するものが生活の他の場面にもないか探そうぜという気分になってきた。
だって美しいものはたくさんあったほうがいいから。ええやん。探そう探そう。何があるかな。
徒手空拳で暗中模索するのも楽しいけれど、今回は和らぎ水の本質的な要素を分解するところから手がかりを掴んでみる。つまり和らぎ水は「二日酔い」というリスクを最小限にしながら「酩酊の楽しさ」というリターンを最大化するための行動なわけだよな。となるとリターンがある行為から逆算したほうが見つけやすいか。例えばそうだなあ。

とかやってて一発目に思い付いたのが「黒烏龍茶」なんですよね。背脂系のラーメンとか食べたあとの。
いや内容としては近い気がするんだけど、そうじゃなくて。
他にもっと俺が望んでいるものがあるはずだ、そう自分に言い聞かせ頭を働かせど働かせど出てくるのは「焼肉のあとのハッカ飴」とか「バーゲンで買いすぎたあとの節約」とかで、あとはなんだ、賢者タイムとかか?それはなんか違う気がするな。いやそんなんどうでもええわ。どっちにしろ欲望のあとの帳尻合わせばっかりやん。そもそもなんか和らぎ水の本質からずれてないか?そうじゃないねん。いやそうなんやけど。などという混乱。できなくなる判断。簡単な提案。諦めればええやん。

精神的方面に和らぎ水を見い出せば救われる気がする。
と思ったんだけど、多分その和らぎ水って美しかったとしても寂しすぎるなと思ってやめた。
だってそれはリターンとリスクをコントロールするための行為なわけで。
たとえば友人達と心の底から笑ってるときや愛する人と穏やかに過ごしてるとき、ずっと応援してたアイドルの晴れ舞台を観たときや長年抱えていた悩みが解決したとき。とにかく楽しいときとか嬉しいとき。
それらをもしリターンとして捉えるならその場合考えられるリスクは?なんてことを考えるだけでめっちゃ寂しいのに、「そのときに和らぎ水の役割を担う行為」にまで思いを巡らせるの、無情すぎて寂寞じゃない?
まあ多分その心の機微は成熟するにつれて身につけるべきものなんだろうし、そこから生まれる寂しさは間違いなく美しいだろうけど、マジ知ったこっちゃねえって感じ。ハッピーなときは全力でハッピーやったほうがハッピーだからな。俺はそういう精神で日々を生きているし、酒を飲んでいるし、だからいつも失敗する。
大事だね、和らぎ水。

なのでまあ、和らぎ水の美しさを堪能するのは酒を飲むときだけでいいや。
それを口実にして飲めるし。