あるものこばみ

見える限りの遠くの向こう

猫の声

 

電話越しに聞こえてくる猫の声。

何度か写真を見せてもらったことがある。スコティッシュ・フォールド。猫の顔立ちにも美醜があるとすれば、整っている、と言える。端正な、というよりは可愛らしい感じ。愛嬌のある美人、とでも言おうか。どちらかというと人懐っこいらしく、抱きかかえられるのは嫌がるが、向こうから近くに寄ってくる。撫でられるのは嫌がらない。膝には乗らないが寝転んでいると腕に乗ってくる。性格は気ままそのものらしいが、不思議なことにそれがあまり「猫らしくない」とのこと。どういうことかと尋ねてみても要領を得ない。人生のほぼ全てを猫と過ごしてきたその子をして「この猫はわからない」と言わしめる振る舞い。曰く、この子は自分の可愛さをわかっているのではないか、と。だとしても振る舞いそのものの奇妙さの説明は付かないよね、とも。

人間のそれと同様に、猫の自由さにもある程度の定型がある。その組み合わせが個性だ。人の声に「反応するかしないか」を決めている節があったり、寝るか遊ぶかを自身の思うところに従ったり、好き嫌いがあったり、好きだったものを急に食べなくなったり。しかしこの猫はその定型の全てに当てはまらない。鳴くタイミングすら不思議だ。全く意図がわからない。遊べと言っているのか、空腹を訴えているのか、それとも他の何かなのか。推測する材料さえ与えてくれないほど急に鳴き始め、しばらくそれを続け、そして急にやめる。鼻歌のようなものなのだろうか?猫も歌う?そうであれば楽しいな、とは思うが……。

この猫の不思議さはなんなのだろう。本当の自由を謳歌し、本物の気ままさを見せることで、人に飼われている限りどうしても制限される「自由」に抗っているのだろうか。それとも特に何も考えていないのだろうか。あるいはもっと深遠な猫特有の哲学があるのだろうか。人間の、しかも家人でもなければ対面したこともない存在が好き放題に想像するそれらを、俺はその子にも伝えたことがない。電話越しで聞こえてくる声と、写真で見る姿と、その子から聞く話に満足している。

ところでこの猫、声がめっちゃくちゃ変なんよな。いやマジで。

その整った顔立ちと艶やかな毛並みからは全く想像できない声。文字に起こすなら「びゃあ」といった具合の、喉を絞められているような、潰されかけているような声。びゃあ、びゃあ。びゃっ。びゃあ〜。と自由気ままに鳴くその変な声と、送られてくる写真で見る姿のギャップに毎度毎度新鮮に驚いてしまう。この声で鳴いててしかも鳴いてる意図もわからへんの?うん、なんか突然鳴くの。突然鳴いて、突然鳴き止むよ。なんやそれ。わかんない。でも可愛いよ。それはわかるけども。びゃあ。びゃあ〜。変な声やなあ。可愛いでしょ。いや声は可愛くないよ。びゃっ。可愛いのにね。びゃ。

その子は大抵スピーカーモードで電話をするので、飲み物を取ってくるなりで席を外したときに俺はその猫と二人きりになる。変な声やなあ。びゃあ。そろそろ俺の声くらいは覚えてくれた?びゃっ。会うたら声の印象も変わるんかな。びゃあ、びゃあ。俺は大抵イヤホンを付けて電話をしているので鼓膜に直接そのケッタイな声が響く。びゃっ!うるさっ。めちゃくちゃマイク近づいてるやん。びゃあ〜!なんで声張るねん。離れろよ。びゃあ。離れるんかい。

電話越しに聞こえてくる猫の声。

変な声だ。でもそれが好きだ。