あるものこばみ

見える限りの遠くの向こう

こっわれちゃってて


お気に入りのヘッドホンがこっわれちゃってて。もう何ヶ月経ったか。買うお金もないし諦めて音質もへったくれもないスマホのスピーカーや安いイヤホンで音楽を聴いている。
前に同じ機種が壊れた、壊れたというか断線か、断線したときは衝動的にTwitterでその旨について泣き言を書いたら誰かがAmazonのほしいものリストからプレゼントしてくれて、あのときのあの人が誰だったか未だにわからないんだけど、そういうわけでこのヘッドホンも音が聴こえなくなったからといってたやすく処分できそうにない。先代は先代で長らくニート生活をしていた自分が単発日雇いバイト以外の初めての収入で買ったものなので愛着があって今でも実家の棚に置いてある。
ヘッドホンがこっわれちゃってて、かなしいというより寂しいなぁと思いながら音楽を聴いている。素晴らしい音楽は音質に左右されずに素晴らしいけど。

壊れちゃってて、という表現と、こっわれちゃってて、という表現のあいだには、サーカスの綱渡りみたいな心細いつながりしかない。かろうじて意味するところが同じなだけな言葉を同一視するのは、それはまあ、危うい。危うい、と、あやうい、のあいだのつながりもそうだ。綱渡りほどではないけれど。
言葉は総合芸術だから意味の他にも文字や音程やリズムに左右されるでしょう。だから、壊れちゃってて、と、こっわれちゃってて、は、かろうじての繋がりしかない寂しい関係です。
昔の恋人というよりはゆきずりの夜と僕は捉えている。あなたと共有できるかは、まあ、知らない。

何せヘッドホンがこっわれちゃってて、寂しい。